図書館で考えたこと。
何か色々勉強しなきゃ、と思ってて、それは転職したいってのもあって、でも転職ってのは今の仕事をやり切ったからするものでしょ?だから勉強して今のことをやり切らないと。やり切れないなら結果的に転職する必要なくなるし、できない。
その転職したいってのには色々あるんだけど。まず、同じことをやり続ける必要がない。現在の僕の職業は、状態であって、属性ではない。僕という歴史のある縦軸に対して職業が被せられたのではなく、職場空間という横軸で働いている僕に対して交差するものだ。時間が経てば他に移っても構わないものであろう。
他の視点から。仕事は単一の視点からで見てはどうしても見えないものがある。公務員ではどうしても見えない視点がある。僕の場合、民間的なもをの経験して公務員になったからわかることもあると思うんだが、もう一度民間に戻って見直して来れる領域もあると思う。でももう一度公務員には戻れないけどね。そのへん何か方策があってもいい。または別の自治体へ行くのもいいと思う。
ついでに年を取ると老害みたいな経営者がどう、みたいなタイトルの本があって、それなら「上がり*1」として経営者は稼いで投資家になればいい。組織の改革や経営は無理かも知れないが、そういう方法で後輩を育てられないか。
とまあ色々考えてて家についても考えたわけですけどね。現在何となく家に縛られているけど、そういう転職のできる生き方を考えた時に、家ってどうなのか、と。まず今僕が実家に住んでいる理由ですけども、単純に共同生活が可能で生活費が安くあがる、ってことだけですね。まあそれはすごく大きいことだけども。将来的な視点で言えば、家を継ぐ、まあ財産管理と祭祀ですね、まあそういうこともあるんだろうけど、年々そういうものの必要性は薄れている。
そんなわけでまあ僕にとって、家とは住むところで、清算、縮小すべきものだ、と思い至った。財産管理とはそういうことだ。あ、でもインフラの問題があった。電気ガス(配達だけど)水道(井戸水だけど)が来てる。でもたいしたことないね。
清算できないものを考えてみると、どうしても情緒が残る。かと言ってまあこの家で生を受けてここに住んでいるものは父と僕と弟だけですし、弟はまあそのうちに家を出ることにはなりますな。そうすると情緒的に残るのは父、という話になる。でもこういうのはほんと強いからなあ。強いから2重に投資し続ける結果になる。田舎の両親、ってやつね。共同生活で生活費を縮減、というのが働かない。
しかしまあ制度が変わるか、僕の能力が上がるかしないと色々無理ですね。

*1:将棋の「成り」でもいいや