カイゼンという言葉を考えている。今日チラッと立ち読みしたそんなような本で、カイゼンの一番に挙げられていたことが「やめる」であった。(①やめる②へらす③かえる)
これが公務員には一番難しい。しかしやめるべきなんですよ。前年度から、前例からどうするか、ではなく、目の前のそれを見て費用と効果を考え、やめる。へらす。かえる。そういったことが必要となるし、そんなシステムが必要になるんじゃないか。
でもまあ基本的には前例主義なんですよね。だから変えれない。あと異動サイクルが3年であることも変えにくい原因かもわからんね。去年は1年で職場がなくなるのがわかってたからその間に全てをやろう、1年で全部仕上げなきゃ、っていう感覚がついちゃったんだけど、基本的に1年目は前年と同じことを教わる1年なんですよね。2年目がそれを1人でやってみる1年、3年目はそれを次の人に教える1年。改善の年がない。
本来は効果を見なきゃいけない。住民が何を望んでいるか。道路関係の課としては、基本的には道路整備なんですよね。大きなところでは新規路線や狭い道路の改善、小さなところでは維持修繕。草刈。
それに対してうちは道路の管理が仕事なんだけど、やってることは道路をどこまで管理するかの確認(境界確認)、古い道路の用途がなくなったことの確認(用途廃止*1)、家を建てるときの排水ルートの確認、等々。不要とは言わないが、果たして僕らは住民の役に立っているのか。交通信号が役に立ってないということを言うんじゃないけど。それ以外では県からくる調査物。道路の延長がいくつだとか何だかんだ。
仕事が目の前に来てるからって盲目的にそれをやることもないじゃない。本当に効果があるか、例えば県から調査物を依頼されたのなら、それがどういう必要があってやるものなのか、それをやることでどれだけお金がもらえるのか、実際そんなにもらえないのなら協力してはいけないのかもしれない。


例えば僕らの課はお金がない、お金がないと言っている。確かに道路工事にかかるお金は莫大で職員の給料で代替できるようなものではない。でも草刈とかは自分たちでもできるだろうし、余計なことで残業代もらう必要だってないしね。職員の作業量だけが多くなることは歓迎されることではない。もっと考えられると思うなあ。


道路特定財源がどうかは知らないが、道路に多額のお金が必要とされることを知って欲しい。そして、何故必要とされるのかと言えば、それはすべて要望があるからなのです。建設それ自体が必要なのではなく、道路の改修が必要なのです。はっきり言って(僕には関係ないけど)モータリゼーションに対応されていない道が非常に多いのです。あと、田んぼの中を走らせた道の傷みは非常に早い*2です。
これも計画がないせいだけど、道路工事が多い理由は水道と下水道の埋設です。道も非常に悪くなります。でも水道*3と下水道*4は生活にとって非常に大事なものです。悪さをしようと思ってしているのではないのです。
実を言えば僕個人は車なんて辞めちまえ、水道下水イラネな人なんですが、それは飽くまで僕個人の述懐であって、客観的な状況を見るに、せめて道路整備は必要だよなあと思います。
途中だけど言うことなくなったから終わる。

*1:例えば道路の名目の土地が個人の家の下にあるとしたら、道路用途の廃止をして普通財産として払下をうけないと自分の土地にはできない

*2:地盤が緩いのですぐボコボコになる

*3:井戸水の方が良かったり・・・

*4:合併浄化槽のほうが良かったりするかも知れません、でも