今日、パッシングのやり方がわからないと言ったらダメな子扱いされた。違和感があったので調べたらパッシングというのは交通法規にはないことが判明した。器用かどうかの判定に使われるならともかく、知らないことを宇宙人のように見るのをやめて欲しい。参考
あと一歩のところで言わない、言えないんだけど、僕が車に乗らない理由としては、環境破壊、もしくは資源枯渇への危惧がある。こういうことを真顔で言えるほどの神経は残念ながら持ち合わせていない。
シンクグローバル、アクトローカルなんて呟いてみたって僕がキチガイなだけだからね。世界が違う、言語が違うのだから黙るしかない。
「あなた達の責任を取っているんです」に聞こえるからね。いや、まあよくわからん。よくわからんと言えば何をすればどれだけリスクが上がるのかもわからんのだよね。環境負荷として確実に車に乗らないほうが乗るよりいい、ということだけはわかるんだけど、例えば今生きている世代がガソリン車乗り放題でも地球は持ちこたえる、というのなら僕はただのピエロになるのだろうか。
選択に関しては危惧があってもいい。議論があってもいい。リサイクルが環境に対してプラスなのかマイナスなのかは論を待つし、その間にどう生活するかは誰かが口を出すことじゃない。対して車に乗ることは必ず環境に対する負荷の増大である。その度合いはともかく。
こうなるとプライドの問題ですね。だから僕は車以外ではめちゃめちゃ金持ちになりたい。
そんなわけでまあ車に乗らない理由を「嫌いだから、運転が下手だから、乗っても上手くならないから」と言っている。こうなるとまあ相手から付け込まれるんだけど、運転を上手くなるために車に乗らなきゃいけないって本末転倒だなー。他の方法で上手くなりたい。そんなゲームないかな。