僕はペシミストであって、例えば僕が不幸になるとすれば、不幸になることを知っていて不幸になりたい。だからこそペシミスティックに考える。不幸になる前には不幸になることを知っていたいから。
最近は特に不幸になるだろうと思って生きている。別に不幸になったっていい。僕が不幸になることを最初に知っていれば。勝手にそういう材料を集めて悲観的に考えられれば僕はそれがいいのだ。
そんな僕が嫌いなのは能天気に選挙を煽る勢力。絶望のために選挙に行きたくない人がいることを考えないのか。自分が無力であることを知ることを煽るのか。選択の苦渋を、そもそも選択肢すらない人を何とも思わないのか。そうなれば、勝ち馬に乗ることだけが選挙のカタルシスなのではないのか?僕らには勝つべき候補に乗り合わせ、勝った勝ったと囃し立てるだけの悦びしかないのか?そうでないなら無力と絶望から立ち直ることが本当にできるのか?
選挙には行く。行くが俺の尊厳を踏みにじらないでくれ。行け、だなんて余計なお世話だ。