境界プレート

思春期を続けたい。いや、勝手に続けりゃあいいんだろうけどさ、なんか田舎ってダメっぽい。ていうか実家がダメなのか?
思春期的なもの、を少し絞りますけども、マンガとかさ、音楽とかさ、芸術チックなもんだよ。あれをもっと続けていたかった。もうあまりマンガ読まないし音楽も限定的。何よりも「発掘」というリスクと引き換えみたいなエネルギー、あれを失ってしまったのよね。
ずっと思春期でいるためには、追い続けなきゃならない。っていうか追ってるのが気持ちいい、みたいな。追いてー!その追うためには最先端が必要なんじゃん。それこそがキーワードとしての都会なんですけど。
僕は特に生活への不安みたいなのがあって、僕みたいな腐れ生活力なし男は、レールから外れれば生活終わったみたいな恐怖がありまして、必要以上に生活に傾斜せざるを得んのですよね。最近もバカじゃないかと思うが道路の境界プレートが気になって仕方なくなってた。アヴァンギャルドとしてではなく、生活として。あー終わったなー。的な。


話はまったく変わるんですが、僕はほんとに人間として欠け落ちた部分が多いんですが、味覚に関するものもその1つだ。ものの美味しい不味いがわからないんです。例えばこれがラーメンだということはわかるが、このラーメンがラーメンとしてうまいかどうかがわからない。味を判別する能力がないのです。
だから人と交流する時に困ることも多い。そもそも僕が家で酒を飲まないのもそういうことかも知んない。一人で酔っても楽しいことなどないからね。それを除けば味でしょうけど、味ってほんとわかんねー。
ほんの少しだけ上記の話と繋げると、お酒や味覚なんかも思春期で、都会で追っていくことでしかわかんねーよな、っていうか僕は既に終わっていて、ワンカップ大関だろうがなんだろうがいいような体になっていると思う。
僕の特殊な性癖として、料理屋で頼むものは必ずメニューの中で一番安いもの、ってのがあるんですよ。料理とか飲み物とかいうものを、味で見たことがほとんどなく、値段と種類でしか見てないなあ、と。
なんか話が飛んでいるけど、僕の人間的欠落と、思春期について、でした。