人が気になる。
ってことで昨日の映画、「幸福の黄色いハンカチ」と「武田鉄矢」をはてなのキーワードで追ってみたけど、あんまり武田!鉄矢!みたいな人はいないんだなあ。健さん最高っす!みたいな人はいたけど。
触れる必要のないことだけど、この映画の筋は僕視点でははっきりいって最も嫌いな部類。何より高倉健のようなかっこよさはわからない。弟と2人で「武田鉄矢かっけ〜!」と始終言っていた。だからモテない。
男女同権とかそういうのを誤解したようなとこがあって、それも教育に毒されてんだろうけども、レディーファーストとか「守ってやらないけん」とかいうのが精神的に無理なんすよね。あと昔から守るほどの強さがなかったってこともあるけど。守られる側で。
それをあの鉄矢と来たら、とにかくかっこいいもんね。理由とか理屈とかじゃなくて、どうやったらかっこよくなるかだけを追求し、客観的にものすごくかっこ悪くなっている。そこがいい。
高倉健のかっこ悪さ(伝家の宝刀、「不器用です」)と武田鉄矢のかっこ悪さはまったくベクトルが違うけど、同じようなもんだろ?健がかっこいいなら鉄矢だってかっこよくなるべ、っていう。
感動的だったのは桃井かおりと写真を取るときに、鉄矢のほうが身長が低かったところ。根が不細工で低身長な僕は、ああいうシーンに神々しさを感じるのだけど、かっこいい人にはわからないのかもしれない。
下痢とか夜這い的なところがシーンとしての見せ場だったけども、そういうシモな部分じゃなくて、本当は武田鉄矢の立ち居振る舞いこそが一番の見せ場だったのだ。どう振舞ってもかっこよくなれない男がどうやったらかっこよくなれるか。もし鉄矢が高倉健を演じたとしたら・・・悲惨だろう。「守ってやらないけん」どころではない。もし鉄矢が魚ならば、強いオスのみていない隙に、卵に精子を振りかけて領域を離脱しなければならないのだ。
そんなわけでハッピーエンド(もちろんハンカチがこれでもかと風にはためいているシーンではなく、鉄矢と桃井が濃厚なキスで事に及ぶ場面)に少し鉄矢に対する嫉妬を感じながらも、「ちぇ。でも鉄矢なら仕方ないか」というさわやかなものを感じることができる。
、とかいう感想を書いたり持ったりした人がほぼ皆無っぽいので、僕が世の中に生きていくのはつらいことなんだろうなあと思った。せめて人のことを気にしない自分であればなあ。