なんていうんでしょう、腹が立つことが多いんですよ。
例えば先輩から頼まれごとをされることが異常に腹が立つ。だから頼まれないように先回りして仕事をやってやる。それなら腹立たない。ところがそれでも仕事を頼まれる。そういうのに限って尊厳がない。今日の例では「書類に業者のハンコをもらってくる」。俺が人間である必要がナッシング。おつかいの上手な犬にでも可能。やっべーこれ切れそうだわ。
自分がその必要をわかってやる仕事ならいい。僕らの仕事は全て法律によって決められているんだから、「○○法の何条の規定により、ここに業者のハンコが必要」ってなった時に、じゃあ業者に取りに来てもらうか急ぐから自分が行くか考えて行動を決定するのならいい。「ポチ、行ってこい」では僕はほんと尊厳を奪われたと思って怒りに震える。
怒りによりそのへんのものを破壊したい欲求に駆られるんだけど、僕の怒りには正当性がないので、ここで表現することはできない。ぐっと我慢していると気が狂いそうになる。
怒りって表現欲なんですよね。想像で解消することはできない。つまりは怒りは人に見せたいのです。喜びや悲しみや楽しみのように自分ひとりで味わうものではない。
やつあたりってのは表現なんです。アート。ミュージック。大きな音でモノを打撃することによって周りに自分の気持ちを伝え、ディスコミニケーションを伝えようとする。でもまあ基本的には曲がってしか伝わらないから、我慢をすることになるんですけどね。
というわけで喜怒哀楽の中で一番アーティスティックなのが怒りだと思う。芸術が怒りでなければなんなんだ。
というわけで今日はもっと正当性のない怒りが頂点に達して外に出て5分ぐらいボーっとしてなんとか怒りを静めてたのだけど。
その怒りに対して自覚のない人達の記事が夕刊に載ってまして。僕は例によってキレた。高校の教師や生徒が君が代で起立しない、とかいうの。バカか?怒りってのはそうやって表現するんじゃねーんだ!!!!大声で君が代を歌え!!!!やけくそで歌え!!!
君が代には宗教は入ってねーんだからそもそもお門違いなんだが(元は将軍家のもの、もしくは他に古くから伝わるもの。決して天皇に対する歌ではない。そして天皇に対する歌であったとしても構わない)、抵抗するならやりかたを考えろ。抑圧に対して全力で反抗しろ。しながら従え。気が狂いそうになって始めて対処できるんじゃねーか。
簡単に反抗できるものなら反抗する意味もない。それなら何故しかるべき場所でしかるべき反抗をしないのだ。サボタージュやるのがかっこいいならそこまでだな。
と、発狂間際のような頭で思っているのですが、僕の表現欲はことごとく怒りです。精神だけは絶対に売らない。