器用貧乏つって、僕のそういうとこって全然よくないんですよね。最近ではスポーツまで多少こなせるようになってきてしまった。一番不得意だったのに。まあ同年代の体力落ちすぎ、ってだけの話だけどね。
上位10指には入らないけど、上位10%には入るっていう。まさに器用貧乏。結局何にも使えない。鶏口となるとも牛後となるなかれ。ちゅーとはんぱやなー!
子供のころからそうでした。「これ」というものがない。いや、自分の中では「これ」は絵だったんだけども、多少とも頭が良かったのが災いしたね。うん、それはちょっとかっこよく言いすぎだ。単にそのぐらいだったのよ。つまり平凡に成り下がりました。
(こういう回顧談も情けないんだけど、小学校1年ぐらいの時に、立体が理解できているのはクラスで自分1人ぐらいだった。そして親とかに「(他の子は)走っている子供を描いているのに、体操服の名札が正面を向いていない(画面の手前を向いている)のはおかしい」、と力説していた。いわゆるドラクエ1。そのころは誰よりも「写生」に関してはうまいという自信はあったけどなー。)
十で神童、十五で才子、二十過ぎればただの人、の例えにあるとおり、今ではめっきりただの人。それでも鬱懐だけは晴れてくれんのよなあ。さっきの例でもあるように、小学校1年から立体を理解していることが評価されないことを怒っていたし、幼稚園の知能テストかなんかで立体の問題でブロックが何個あるかみたいな問題を僕は自分でわかって解いたのに、誰々君は僕の答えをカンニングして許せない、とかそういう時代から。
もう少し何かに執着できたら、技術者とかになりたかったなあ・・・。
ちなみに小学校のころの将来の夢は「学者」でした・・・。