スポーツは「良い子」を育てるか (生活人新書)

スポーツは「良い子」を育てるか (生活人新書)

ちょっと前に水の中でやる球技*1のジュニアの指導の手伝いみたいなことをしたんだけども。
悪気なくても僕ら体育会育ちって「勝ち」を意識させる指導をしちゃうんですね。で、指導してるのは高校の後輩だったんだけども、僕はそれを聞きながら引いちゃって。まあ僕も後輩も専属ではないですからね。その場では何も言わなかったけど。
本の内容はここでは特に触れません。子供にスポーツをさせる時に重視すべきなのは勝ち負けのような結果よりその後の人生でも役に立つような過程である、ぐらいのこと。
まあ指導する当の本人が実は何もわかってないってこと多いと思うんですよ。自分も勝ち負け重視の体育会の中で過ごしてたりするから。
話は飛ぶけど、ジュニアの指導ってものすごい。この本の中にも出てきたけど、「シュミレーション」をする小学生って僕のやってる競技でもいたからね。大人が仕込んでることなんだろうけど、それをして何の意味があるの、いや、それを教えて何の意味があるの?と。
水泳なんかもジュニアの試合を見る機会がよくあったけど、恐怖政治だよね基本的には。大学で水泳をやったけども、基本的にはそういう指導しかされなかった人が集まっている。だから結局は大学生になっても精神論が一番になってしまう。
大学生になれば、精神論では伸びない。やっぱり頭を使わないと。子供時代に精神論でやってきた人達は、結局大学生になれば頭打ちになる。強制する人はいないんだし、やってきた理由がなくなれば練習にも身が入らなくなる。結局、高校時代のベストタイムを破れずに大学のクラブを引退する人が多い。
自分はどうだったのかな、と思うと、やっぱり高校時代*2は恐怖政治に近かったのかな、とも思う。でもその中で少しは自己表現、自己実現できる機会もあったと思う。その点では指導者にも恵まれていたと言えるのかも知れない。(でもやはり怖かった)
いつまでも印象に残っているシーンが一つある。ある試合で僕は控えとしてベンチにいる。僕の実力はこの中で一番低いが、唯一泳ぎではレギュラーと同程度かそれ以上であった。どういう試合展開かは思えていないが、「俺に交代しろ!交代したら絶対に相手を抜いてカウンターに出る!」「絶対抜く!」「絶対抜く!」と何度も頭の中で繰り返し唱える。で、実際に交代を告げられ、その次の攻撃で見事カウンターに出て自分かそのお陰でフリーになった味方かどちらかのシュートで点が入ったと思う。その時の集中と達成感みたいなのは、この試合が大して意味のある試合ではなかったけども忘れられない。
どっかでカタルシスみたいなのがあるんだよな。ないと続けていないかもしれない。僕は球技は下手で体格もひ弱だったけど、中学で水泳部だったので泳ぎは速い方だった。だから攻撃手段としては速攻、カウンターしかなかったのだけど、ある機会にそれのやり方が少しわかって、極端に言うと点を入れることが目的ではなく、相手を抜ければ気持ちいい、ぐらいの感覚でやってました。今でもそうなんだけど。
どうでもいい思い出話になってしまいました。

*1:あんまり競技名出したくないので伏せますが多分一つぐらいしかない

*2:高校は「水の中でやる球技」の方。大学で水泳。