「眠い」てのは1.7kmだか何かを7分半ぐらいで走った後の感想だったんだけど(もちろん走ってすぐはそんな余裕ないけど)、たまに消え入るように眠くなる時がある。今日は昼休みに新聞読んでる時、無意識に寝てしまったし、昨日は高速運転中に・・・まあかろうじて弱い意識は残ってるんですけどね、どっちの場合も。
なんでこんなに眠くなるんだろうなー。7時間ぐらいは寝てるんですけどねー。
さて、本日も習得について。また地理の話なんだけど、僕は地理を覚えるときに目印を設定しないのです。もう少し正確に言うと「あそこを右」っていうひどく曖昧なイメージを目印にしている。あそこってどこやねん、っていうと何となくチェックポイントがいくつかあって「木がある ○、信号機がある ○、金網がある×、・・・(実際はもっと薄い・・・多分「ぼんやり緑色」とかそれぐらい)」みたいな薄いイメージ一つ一つにチェック入れていってついつい通り過ぎたところが、あ、やべえ、あそこだった、みたいな感じ。
分かるってのは分けることなんですよね。区別ができるということがつまりは理解するということである。例えば猿にいきなりドとド♯の音を聴かせても区別できないが、ドとソから始めて段々近づけていくとドとド♯の音を区別できるようになるとかならないとかいう実験があったような気がする。(ソースはまるっきり失念。ガセかもしれない。)
つまりは区別、理解するためにはある程度大きな分類をしなきゃいけないってことです。ドとド♯とレの中で生きているとなんか曖昧で何も理解できなくなっちゃうんじゃないかな、っていう。
だからこういう体験の中だけで習得しなきゃいけないようなものは、僕の場合人より余計に材料を集めることになります。つまりは習得が遅い。
そういえば昔、バイト先で「ここと家とを結ぶ通勤ルートの地図を描いてくれ」と言われて棒が一本しか描けなかったことがあります。それにしても酷い。