ずっと田舎に住んでいれば、都会的なことに劣等感を覚えずに済んだのかもしれないな。というか交わることはなかったのかもしれない。
都会というのは地方からは隠蔽されている。グローバリゼーションは田舎を広げるだけのことだ。ロードサイドはレールサイドとは根本が違うからだ。
遠州地方は諸手を挙げてロードサイド型に走っている。浜松という唯一の半都会でさえ、まったくの田舎になってしまうのかもしれない。
僕らはそういう中で生きている。反面、インターネットは都会だ。都会とは集積である。田舎とはコピーアンドペースト、分配である。インターネットは情報を扱うものであるから、それが集積する都会こそがインターネットにとっての適地なのだ。
前置きが長くなった。ここに住んでいると、周りはここを離れたことがない人か、他の田舎へ行って帰ってきた人が多い。都会を見たことがない人が実際に多い。僕も垣間見たのは神戸と大阪であり、東京ではない。
それでも見たからには乖離がある。これはどうしても感覚の違いになると思うのだ。それでも都会的なものを意識してああここは田舎だと思ってしまう僕と、ここは田舎だなあとだけ思う人。そこでは話は交差しないかもしれない。
インターネットのイベントに行く度に、都会には憧憬を感じてしまうのだ。