人間・動物・機械−−テクノ・アニミズム 奥野卓司(角川oneテーマ21
つまるところ、機械が増えて、人間と機械の境界が曖昧になってきているけど、でも動物と人間の境界だって曖昧だったぜ。そこから越し方行く末を考えようじゃないか、って本(超適当かも)
テクノ・アニミズムってのは昔から東南アジアには「アニミズム」っていう物とか動植物なんかを崇拝する習慣があって、現在の日本でもアイボとか流行ってるし機械(テクノ)に魂とか感じて崇拝しちゃう習慣(アニミズム)が日本にはあるのかもねー、ってことらしい。
色々感じたことはあったけど、言葉にするのは難しい。勝手に印象に残ったのが、この人が京都生まれで、友人の父親が梅棹忠夫だったことで、「そんなのズリー」と思ってしまった。
京都っていうだけでそのへんの文化人みたいな人が身近にいるってのはまあ勝手な僕の思い込みだろうけど、それが実際に近いってのも事実だとは思う。やっぱり生まれとか素性とかって大事なんだよなあ。
んで、機械ってのはもちろんパソコンも含むわけで、例えばインターネットによって人間はこれまでの人間と変わってしまったなあ、ということ。これはインターネットキッズにしたらものすごく実感できることじゃないかなあ。特にしゃべるということとキーボードを操作することが同義になるなんて思っても見なかったことが普通になってることとか。
もう一つ興味深かったのが、人間の歴史は狩猟→農業ではない、ということ。もともと狩猟ってのは人間のメイン食生活じゃなくて、現在の狩猟民族とされている人達も栄養の8割は採集から得ている、らしい。んで、だいたい飢饉で死ぬのは今も昔も農耕民族で、採集狩猟民は割と豊かにというか人数が増えすぎないようになっているのでそういうのはない、っていう。
だから農業によって人間の生活は安定化したんじゃなく、不安定化した。さらに農業つっても最初から食用だったのではなく、初期は香辛料とか観賞用のようなものが先だったという。
結局は人間は好奇心によって木の上から平原に出てきたし、好奇心によって農業を始めた。定住つったって大学で東京に出るし、旅行も行くし。
うお、なんてまとまらない文になったんだ。いやあ、ほんとに面白い本だったんだけど。