日本人

日本人とは何だろう、という時に例えばユダヤ人とは何だろう、と考える。
日本人はしばしば自分たちのことを血統の面から日本人と考えることもあるだろうけれども、それはたまたまそれがイメージに近いように感じるからだけのことだろう。やはり日本人が日本人なのは、日本の文化を身につけているからなのであると考える。例えば日系人。例えば在日外国人。
それでは日本人が日本人たるべき日本の文化とは何なのか?これも民族的な歴史と言うよりは、地域性から来ているような気がする。曰く、日本に住んでいるから日本人なのだ、と。
そうして「日本の文化」を身につけたものが外国に住んでも、日本人である。彼が外国に定住するなら持ち込んだ日本文化と現地の文化を受けた子供が育つだろう。彼は何人か?それはまたその時の話。
識者が不安視するような「現在の間違った日本」であるとか、識者が懐古する「古き良き日本」というものは、果たしてありうべきだろうか。環境が文化を作るのなら「現在は正しく日本」なのであり、「過去も正しく日本」だったろう。他国を見るに、果たして「歴史の奇跡」というものが本当に起こりえたか?チンギスハーンなかりせば。ナポレオンなかりせば。それでも歴史は変わっていたろうか。