地域主権型道州制―日本の新しい「国のかたち」  (PHP新書)

地域主権型道州制―日本の新しい「国のかたち」 (PHP新書)

著者的には「地域主権型」が大事なようだが、ひとまず措く。道州制について。まず、道州制は国の解体であり、金の出所と入所が同じになるということである。3割自治といわれるような、国が金を集めて自治体に回し、自治体を支配する仕組は非効率であるからだ。
個人的には国会議員が限定された選挙区から選ばれる仕組が気に入らない。国なんだから政策だろ。まるで地元に利益誘導して欲しいから国会議員を選んでいるようで非常に嫌だ。道路族とか言っちゃって。(道州制にして国から道路の部門が道州に移れば、道路族という国会議員も道州の議員にならざるを得んだろね。)
個人的ついでにもう一つ。現市町村合併だけれども、僕はこれを素晴らしいことだと思っている。「合併は失敗だった」という人にお目にかかることも多いが、僕は心の中では成功だと思っている。けど、それを言うと結局は主義主張の対立(何が大切なのかの話であり、それは個人のもの)になるだけなので言わないけど。
市町村には政策立案能力が必要だ。道州制の受け皿足りえるように。現在は国や県の手足に過ぎないけれども、道州制になれば、またはならないとしても、市町村には政策立案能力が必要になる。いや、例え政策立案能力が必要にならなくても、自ら考え行動する能力は必要だと思うのだ。それにはどうしても規模が必要だ。国や県から言われた仕事をやるだけなら旧市町村の規模でもいい。お金だってどうせ国や県からもらえる(つまりは市町村にとってのお客様は住民ではなく国と県だったのだ)。合併して失敗だってのはつまりそういうことで、至れり尽くせりなサービスができなくなったことをもって言われるのだけれども、実際のところその財源は将来どうなっていったのだろう。財源がなくなり、政策立案能力もなければ、本当にジリ貧だ。
合併により、市町村自らが考える力が増す。逆に言えばそれだけの余裕であったり、専門性が手に入るのだ。これは一朝一夕には現れてこないが、将来的には必要なことだと思う。そして現状で満足するよりは、これをさらに拡充することを考える必要があると思うのだ。
本書の道州制で考えられている基礎自治体である市は、全国で300だという。現状の1800よりもさらに少ない。その規模でこそ、市としての必要な基盤が手に入るのだ、と言えよう。
本書で批判されている中央集権に対しては、私はよくわからないのでパス。あと、こういうものは「機が熟す」ものだと思っている。私が生まれる前に国鉄は民営化していたし、制度が変わるというのは、条件が揃ってから、または条件がそろってだいぶたってからだろうと思う。行政は世の中を後追いしていくものだが、追っていることだけは確かだ。私が今担当している戸籍事務の、昔の手書きの戸籍台帳なんかを見たらびっくりする。それでも時代が変わるに従い、タイプされ、さらにはコンピューター化した。どれだけ遅れようが、時代を追ってはいるのです。