昨日のWBSでは仕事中におもちゃをいじりながら会議を行う会社が放送されていた。それで生産性も上がるから、会社が経費を負担している、とも。
それに対して私たちの職場はどんなレベルなのだろう。市役所でそんなことをしていたら市民に怒られるだろうし、そもそも私たちの職場は外部から完全にオープンに見られるようになっているので(市長とかそういう人達は自分の部屋にいて、部長はようやくパーテーションの裏に隠れている程度。でもなんで偉いと隠れるんだ?)、そういう感覚が想像しにくい。
例えば生産性にそれだけ差があり、開く一方だとするのなら、私たち市職員の将来はお先真っ暗だろうか?
それどころかかなり保障されているような気もする。今までの数十年の変化が非常にゆっくりだったとしたら、それをゆっくりにさせた力がこれからの変化も緩和させてしまうだろう。
つまり、徴税する権力、自体にものすごい力があるのではなかろうか。僕は今まで公務員の権力は低下してきたと思ったけれども、それでも徴税する権力自体はまだまだものすごい力を持っている。何といっても納税は憲法で規定された3大義務の一つなのだ。いくら改憲可能とはいえ納税義務を廃止するようになるのはもっとずっと先だろう。
市役所ははっきりと途中で降りる人が少ない組織だ。これは既得権がすごく強いことを意味する。市役所に就職が決まったことはただそれだけの意味ではなく、売却不可能な約2億円分の債権を得たのと等しい。一代限りの強大な権利を得たのと同じなのだ。
そう考えると市職員の将来性はものすごくある。何か複雑だけど。
まとめると、徴税する権力を既得している市役所という組織に入ることは、そこから得られる収入を債権として得る、ということでもある。
これは個人的な問題というよりはもうなんだかよくわかりません。退職金が債権の買取だとするのなら、カスカスまで搾った定年の人に少なく、まだ搾り切っていない若い人に多くするのがいいかなあとか今適当なことを思ってみた。まあ完全に債権なわけじゃないしね。


追記:僕は株式会社に入りたかった人だから、市役所を株式会社に変えたいのだろうなあ、と思う。入るときに問題があっただけなんだから(就職活動が怖くてできなかった、とか)。入るのは市役所のほうが簡単だったけど、働くのは株式会社のほうがいいような気がしている。違いはわかんないけど。