平凡こそが難しく、そして強い。
大抵どんな「金持ち本」でも節制と複利を挙げている。(という印象がある。)簡単に言えば、節約したお金を投資に回し、長期で持ち続ける、ということになる。そして実行するのは簡単だが、続けるのは本当に難しい。何故なら、この方法をすれば必ず貧乏になるからだ。
貧乏といって語弊があるなら、一般的な感覚と違う感覚が必要になる、とでも言おうか。とにかく、金持ちになるためには貧乏になるのが簡単な方法なのだ。その逆に、金持ちのまま金持ちになるのは難しい。
理解できない現象として、巷には投資本があふれている。人は基本的にはそれを一冊買えばいい。むしろ買わなくとも金持ちになることは可能なのだ。なぜそんなにあふれるのか。方法に拘ることはあまり重要ではない。
そしてものによっては、「金持ちなまま金持ちになる」方法を書いている。これは例えば100人にお勧めして、20人が成功する方法だと言えるだろう。別にそれはそれでいいんだけど、残りの80人はどんなつもりなんだろう。
さて、僕の場合。節約と投資を始めた途端にどうなったか。上で書いた通り、貧乏になりました。何百万円の価値の証券を持ったとしても、それはそれだけのことです。例えそれが現金だったとしても同じこと。何百万円持ったとしても、お金持ちではありません。逆に、手に入れたお金を全て使い切っている人のほうがお金持ちなのです。
そこに非常に違和感を感じながら生きているのですが、これを納得させる新しい基準、精神的な余裕の尺度ってのを持ちたいな、と改めて思います。つまり、僕は精神的に豊かである、という感覚。金銭的に豊かになる可能性も高いけれども、今のまま豊かさを感じることができるようになること。これは人生がどうなろうが大事なことですね。