最近、というかまあ役場に入ってからずっとなのだが、図書館に入り浸っている。つってもまあ昼休みに30分ぐらいいるのと金曜の17時〜19時前ぐらいまでいるだけなのだけれど。
んで、読む本がなかったりすると本棚をじろじろ物色してあるくんだけど、たまたま目がいったところに、一頃話題(?)になった身障芸人、ホーキング青山の「笑え!五体不満足」という本があった。何気なく手にとって読んでみると、これがけっこう面白い。
まあ僕が違和感持つのも勝手だけど、Z武さんは健常者に見えるわけです。生き方とか主張とか。このホーキング青山さんも健常者よりなんだけど、Zさんと違って養護学校に行っている分、多少障害者に近いのかな、という立ち居地を感じた。
前から思ってたことで、非常に自分本位の想像かもしれないけど、障害者ってある種ものすごいんですよね。障害者かどうかはわからないけど、町の芸術家みたいな人もそれに近いと思うんだけど。
僕にとっては衝撃的な記憶があるんですが、大学に行っている時に、深夜テレビですげーもんを見たんですよ。どんな題名だったかはわからないけど、障害者をオーディションして舞台をやるというような内容のもの。そん時思い知ったのは、あいつら本気出したら俺らは勝てないぜ、ってこと。
つまりは常人と動きがまったく違うんですよ。うまく動けない、とかじゃない。それがその人にとって一番うまい動きなんだろうけど、単に、違う。んで、すさまじい。
このホーキング青山さんもZさんも共通している部分で、健常者の友人が多い、っていうかほとんど健常者の中で生活している、ってのがあると思うけど、そういう人はやっぱり精神的には障害者じゃないと思う。ホーキング青山さんが奇しくも主張しているのは「障害者が自ら壁を作ってる」というようなことだったと思うし、それはどうしても障害者の中からの声じゃなくて健常者としての視点からになっちゃう。それが悪いってのじゃなくて、障害者個人個人は青山さんやZさんのようになっていけば過ごしやすくはなると思うけど、両者が何かを代弁してるわけじゃないってこと。
このへんは著名人が出した本を我々市井の人が読むことと似たことではあるのだけど。
最終的な結論としては、街で障害者に会った時は、やっぱり僕らは「引く」べきじゃないのかなあ、ってこと。正常に引けない人が、それ以後正常に障害者と付き合う(もちろんその必要があれば、だけど)ことはできないんじゃないかなあ、と思った。