イチローは「天才」ではない 小川勝
電車内で読むために図書館で借りた適当な本。なんていうか、僕は技術信仰というか理系信仰というか、まあそういうの自分にないから憧れるわけです。だからスポーツのこととは言え、自分を分析して部分部分を改良していっている人の話が好きなんです。
この本に書いてあることで印象的なことは、「目」の話である。目の研究家みたいな人がオリックスで目の研究をしていて、という話の中で、イチローは目の力がオリックスの中でもズバ抜けていた、というようなことが書いてある。確かに目を動かすのは筋肉であり、目を使うアスリートなら目も鍛えなきゃならないだろう。イチローは目に関して「鍛える」という意識を持っているようである。
イチローですごいと思うところは、あらゆるところに手を抜いていないところである。
例えば、イチローは四六時中ストレッチをしている。これにも色々な効用があるようだが、それとは別に「手を抜いていない」ことの現れと見ることもできる。
常々思っていることはアスリートは目的のためにあらゆるものを注ぎ込む必要がある、ということである。そしてそれは根性論とはまったく違うものだろう。
言い換えれば、吸収、ということである。目に入る全てを目的のために応用することができることが、自らがよりよい選手になるための方法ではないかと思うのだ。
昨今、スポーツに必要とされるものは技術だけではない。体(その中には目も含まれよう)の動かし方の基本、意味、そういったものも重要視されてくるはずだ。そういった意味で、イチローほどそれを実践、並びに試みている選手はいないはずで、私達はそこから必ずフィードバックを得られると思うのです。