ウェブが創る新しい郷土 ~地域情報化のすすめ (講談社現代新書)

ウェブが創る新しい郷土 ~地域情報化のすすめ (講談社現代新書)

地域情報化に入る前の前提である、地域の消滅のほうに興味が行った。この本では地方自治体等とは一線が画されており、それが市職員である僕にはまた強い印象だった。つまり、市町村の境界だとか、そもそも地域なんか壊れてしまっているのだ。
というわけで本とはちょっと離れたことを書く(地域情報化の事例もまだこれからだとは思うし)。本の中に触れられていることを、市職員目線から読むと、市役所の仕事は相当変わった、という風に読めた。例えば都市基盤の整備なんかは市役所の仕事だろうけど、それに対しての市民からの熱望は既に過去のもの、っていう。確かに今でも新しい道路ができることによって利便性が増したりするけれども、それは地域課題と言うよりは交通整理に近いのだ。つまり、議論するよりは調整する、という。
地域課題とは、きっと議論が必要なものだ。
その中で市が推進する事業の意味って何だろう。例えば住民の生活圏が市域と無関係ならば、市という枠の中での事業は市民としての住民が望むものとは違っちゃう。うーむ。
てなわけで市役所をなくすことが、市民にとってのサービスになるのかなー、とか。それか新しい形の行政というか。つまり、市と言うものが、地域課題を解決するための(そしてそれに対して議論をするための)単位としてふさわしいのかどうかっていうこと。


さて、話は変わって以前にも書いた住民の個人情報証明サービスについて。今回ちょっと思ったのだけれど、自らのアイデンティティーは自らがコントロールできるようになってもいいだろう、と。IDカードがidentity card(身分証明書)であるなら、自らのアイデンティティは自分が一番良く知っているはずだ。つまり、「俺が俺のことを俺だって言ってるんだから認めろよ」ということ。御説ご尤も。ただ、それを証明するためには今の仕組みではまだ足りないのです。
つまり、それができる仕組みさえあれば「俺が俺だと言えば俺だとわかる」ようになるはずなのです。そうすれば住民票や印鑑証明は不要になる。個人情報を個人がコントロールできるようになる。そうなった時に、個人情報を補完、保管するための役所は必要だけども、「市」役所じゃなくてよくなるんじゃないの、と思うの。
市役所にとっての一番多いお客さんが、その時点でいなくなっちゃう、という。そういう市役所の解体が本当に必要になると思うんだ。

京都近郊である小高い山にだけべったりと住宅が張り付いているのを見て、「神は偏在する」と思ったんだけれども、家でググったら、「神は遍在する(=ラテン語ユビキタス)」だった。ユビキタス!と思いつつも遍在(どこにでもある)よりも偏在(偏ってある)だったなあ、と思った。
神はともかく、偶然ってのは重なるものだぜ。