色々槍玉に挙げたいものが沸いて来ている。まだあるのか、いやきっと終わりはないぜ。明日から市役所がなくなってもそんなには困らないだろ。つまり、それぐらいは槍玉に挙げられるものがあんだぜ。

ハンコです。まあハンコって仕組自体に言いたいことがあるのはともかくとして、俺がハンコ打つ必要があるのかとか、あの人に打ってもらう必要があるのか、とか。労力に比してそらどうやねん、思います。

例えば課内で10人ぐらいに回覧する書類があるとして、それがほぼノールックで帰ってくる時に、どっちも言い出せないわけじゃない、見ないで下さい見せないで下さいとは。3人ぐらいは完全に必要ない人が混じってるはず。

切り出せば。

心配しすぎだってのはひしひし感じてきた。わかってきた。心配性が作ったシステムで、負担が多過ぎて結局もうチェックが逆にできない状態ですよ。だからまた心配が増えちゃう。

そこで俺は外部から来た悪になれる。やった!俺悪モン!

もっとテキトーに。

人のリソースを使うことは悪だ。人の時間を使うことは悪だ。効果がないことなら辞めるのが正義だ。

そうそう、10人に回覧するなら最初の1人がスキャニングしてメールで送ればそっちのが手間がないんじゃないかとも思うんだよね。例えば2分×10だと20分。スキャンに10分かけて1人1分(回覧の手間をなくす)で見ればつりあう。

責任を分散させたいんだよねー、ハンコを打たせて。でもそうするとどこに責任の所在があるかわかんなくなるんだよ。自分の責任の範囲を自覚しながらハンコ押さないとダメだよ意味ない。○○さんハンコ押したじゃん、って言われても通らないもんね。担当がないなら押す必要がない、ってんなら係内で回すのではなく、事務分掌で関係ない人には回すの辞めたほうがいい!?そうか!!そうだ!!

あとこれ慣習なのかなあ、回覧とか決裁を決裁板(回覧板?)に挟んで籠に満載して回すんだけど、どうしようもないなあ。こんなに見る必要あんのかな、っていう。ついでに決裁板のかさばりようったらない。

あー稟議ってゴミ。何か現行のシステムの中で多少目から鱗のことを考えたいけどなー。自分だけ得とか自分だけ心配ないとかそういうことを全て辞めさせないと。全体が負担増のシステムになるからなあ。

きっと誰かの不安が増幅しただけのシステムだと思う。僕親戚んちで風呂入る前にしこたまケツ穴洗わされたことあるもん。お前んちの息子は風呂で何かやらかしたか知らんが、その不安はローカル不安だろ?って今になれば思いますね。当時はショックと嫌さで「あ、やっぱここんち合わん」って思っただけですけど。

不安をリスクにしっかり翻訳しないと。リスクだったら取ってもいいわけだから。危険性が40%だったらその対策は取らないほうがいいってこと。あ、掛け算は除いてね。

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する  文春新書 (501)

グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する 文春新書 (501)

グーグルとはインパクトなのだ、と。検索エンジンはグーグルの仮の姿であり、実際はユビキタス(神の遍在)である。グーグルは検索という神の御業で、あらゆるところに入り込む。
詰まる所はデータベース。地球上の全てをデータベース化してしまえば、グーグルは世界に遍在する。グーグルはあらゆるものを取り込んでいく。
それが例えば破壊や創造に繋がる。世界をくまなく照らす光だ。見えてしまえば変っていく。そしてそれは監視に繋がるかもしれない。さらにグーグルは世界をくまなく照らさないかもしれない。グーグルマップの衛星写真では、ペンタゴンは見えないという。神が恣意的な動きをすれば、私達の誰かがそれを被るのであろう。